毎年第二日曜日は、母の日ですね!
今年はどんなプレゼントやサプライズをお考えですか?
でも、普段から感謝の気持ちはあるものの、なかなか素直に伝えられないでいる方もおおいでしょう。
そんな方の為に、今回はお母さんへのメッセージ例文を母の日のルーツと共にご紹介しましょう。
ぜひ参考にしてみてくださいね!
母の日の由来
日本の母の日は、アメリカ合衆国から伝わったものです。
アメリカに住むアンナ・ジャービスという少女が1905年に母を亡くしたのをキッカケに、
「生きている間にお母さんに感謝の気持ちを伝える機会を設けるべきだ」
と運動を始めたことが、母の日に由来しています。
1914年に当時の大統領が彼女の運動を知り、5月の第2日曜日を「母の日」として制定しました。
一人の少女の運動が、そんなに賛同された訳は?
幼き少女の活動が世間に賛同された理由は、彼女の母が関係しています。
アンナ・ジャービスの母は「アン・ジャービス」と言い、地域の医療補助活動のボランティアなどを行うクリスチャンでした。
アンさんが住む地域では、対立する北軍と南軍の兵士が両軍とも駐屯する場所でしたが、当時は医療の発達の遅れや衛生環境の悪さがあり、軍の兵士間でもはしかなどが流行っていました。
そんな環境下でも、アンさんは苦しむ人には軍など関係なく助けの手を差し伸べていたそうです。
また、戦争が終わっても平和活動や子どもの支援などを続けていました。
そんなアンさんのことを多くの人が知っており、追悼式でのアンナの行為が人々の心に残ったことで、賛同されたようです。
日本での母の日の開始は?
日本で母の日が広がり始めたのは、明治時代の末期です。
キリスト教の文化が入ってくるとともに次第に全国ヘと広がっていきましたが、昭和に入って大日本連合婦人会が出来たのをキッカケに、当時の皇后の誕生日である3月6日が母の日と制定されていました。
その後1949年頃に、5月の第2日曜日に行われるようになりました。
母の日は早くから制定されたものの、当時は国民にあまり浸透していなかったようです。
認知されるようになったのは、昭和12年(1973年)にお菓子メーカーの森永製菓が「森永母の日大会」と大々的に告知したことがキッカケでした。
なぜ母の日にカーネーションを贈る?
母の日にカーネーションを贈るようになったのは、先ほど紹介したアメリカのアンナ・ジャービスが関係しています。
亡くなった母親が好きだった白いカーネーションをアンナが祭壇に飾ったことから、健在の母には赤いカーネーション、亡くなっていたら白いカーネーションを贈るようになりました。
また、カーネーションの花言葉は「純粋な愛」「母の愛」などで、母性愛を象徴するものだからとも言われています。
母に贈る手紙の例文
母の日は、健在している母に感謝の気持ちを伝える日だと紹介しました。
そんな日に送るカーネーションには、ぜひ一言でも手紙を添えてみてはいかがでしょうか。
優しく語りかけるような文章で書くのがオススメですよ。
下記に例文をいくつか紹介します。
なかなか会えていませんが、元気に過ごしていますか?
私の方は仕事ばかりの毎日ですが、元気に過ごしてるよ。
時々連絡くれたり荷物を送ってくれたりと、とても助かっています。
ありがとう。
また時間を作って一緒に旅行にでも行こうね。
あまり無理せず、たまには好きなこともするんだよ!
これからも元気に過ごしてね。
気に入ってもらえると嬉しいです。
お母さんの笑顔をこれからも見たいので、いつまでも元気に過ごしてくださいね。
ほんの気持ちではありますが、受け取ってもらえると嬉しいです。
感謝を込めて。
体を大切に、これからも元気に過ごしてください。
また食事にでも行こうね!
まとめ
以上、いかがでしたでしょうか?
母の日の由来や、メッセージの例文をご紹介してきました。
そのルーツに思いを馳せ、今年の母の日はぜひ上手に感謝の気持ちを伝えてくださいね!