彦星と織姫が有名な七夕伝説。
その由来をあなたはご存知ですか?
実はこれには何通りの節があるようです。
少し難しい内容もありますが、今回はその5つの伝説について解説してみました。
子供に簡単に伝えるための文例も用意しましたので、参考にしてみて下さいね。
七夕にまつわる5つの由来
日本古来の祭祀と中国伝来の祭祀の融合
七夕は、本来、身に付いた穢れを笹竹に托して水に流すという禊(みそぎ)の祭祀でした。
そして七夕祭は、日本古来の麦の収穫祭である、
「祖霊祭」と、
中国伝来の「星祭り」と、
「乞巧奠(きこうでん)」
が融合したものと考えられています。
祖霊祭とは?
古代日本では、水辺に架け出した棚の上に機屋を設けて、清らかな乙女がその中に籠って神聖な衣を織り、遥か彼方から来臨される神様をお迎えして衣をお着せし、神様の禊にご奉仕するという風習がありました。
この聖なる乙女は、
棚機津女(たなばたつめ)
乙棚機(おとたなばた)
と呼ばれ、「たなばた」の語源となりました。
そして、たまたま時期を同じくする「乞巧奠」の風習が大陸から伝えられると、「たなばた」の文字も、七月七日の夜を意味する「七夕」を当てるようになりました。
星祭りと乞巧奠とは?
古代中国には、
牽牛星(けんぎゅう=わし座のアルタイル)
織女星(しょくじょ=こと座のベガ)
が、天の川を渡って一年に一度の逢瀬を楽しむという伝説がありました。
牽牛星は農時を知る基準となる星で、織女星は養蚕や裁縫を司る星とされていました。
陰暦七月の初めごろは、北東から南西にわたる天の川をはさんで、この二星が頭上に明るく見えるので、次第に擬人化されて伝説となりました。
牽牛・織女伝説とは?
織女は機織りを生業にしていました。
休む間もなく仕事に精を出す彼女の姿を見ていた天帝は、一人きりでいる彼女を憐れんで、牛飼いの牽牛と夫婦にさせました。
ところが、ひとたび結婚すると、織女は機織りを怠るようになりました。
怒った天帝は、罰として織女と牽牛を離れ離れにし、一年に一度、七月七日にしか会えないようにしました。
こうして、織女は、鵲(かささぎ)が翼を並べて架ける天上の橋を渡って、一年に一度だけ訪れる牽牛との束の間の逢瀬を楽しむのです。
唐代の文人たちにとって、七月七日の晩、宴を開いて酒を飲み、牽牛星・織女星が天の川を挟んで輝くのを眺めながら、この伝説をしのびつつ詩文を作るのが風雅の道でした。
また、女性たちは、裁縫の上達を祈って、七月七日に織女星を祀るようになり、この習俗が唐代以降に宮廷にも取り入れられ、「乞巧奠」として盛んに行われるようになりました。
宮中における乞巧奠
我が国古来の棚機津女が牽牛・織女伝説と結びつき、七月七日の夜に女子が二星をお祀りすると、機織りなどの裁縫の技術が上達すると信じられるようになって、乞巧奠が宮中でも行われるようになりました。
内裏の清涼殿東庭で行われる乞巧奠の儀式では、朱塗りの高机四脚を南北に配置して様々な供物を並べ、五色の糸で貫いた金の針と銀の針を七本ずつ楸(ひさぎ)の葉に刺してお供えしました。
琴柱を立てたままの箏の琴を置き、黒塗の燈台九本を高机の四方と中央とに立て、水を入れた盥に夜空の星を映し出し、香炉で夜もすがら薫物を焚きました。
そして、帝もお出ましになって二星の会合を御覧になり、詩歌管弦の催しは暁に及ぶこともありました。
民間でも乞巧奠が行われ、庭に机を立てて香花を供え、梶の葉に字を書いて置き、棹の端に五色の糸をかけて何か一つのことを祈ると、三年以内に必ず効果があると信じられていました。
室町時代の七遊び七種の事
時代の推移ともに行事の内容は変化し、七夕は娯楽的な色彩が強まっていきました。
室町時代になると、七月七日の七という数にちなんで、
- 七百首の詩
- 七百首の歌
- 七調子の管弦
- 七十韻の連句連歌
- 七の数の鞠
- 七献の酒
など、七の数の遊びをするようになり、七遊び七種の事と称して行われるようになりました。
江戸時代の七夕
江戸時代になると、七夕は武家の年中行事としても定着し、五節句の一つに定められています。
また江戸市中では、五色の短冊に歌や字を書いて笹竹に飾り付けたり、五色の糸を吊るしたりして、書道や裁縫の上達を祈ることも行われ、今日に近い七夕風景になりました。
また仙台では、七月六日に歌を詠んだ短冊や扇などの飾りを笹竹に付けて軒端に立て、牽牛星・織女星を祀り、翌七日に笹竹を川に流す七夕行事がありました。
そのほか農民層では、板の人形に子供の着物を着せて吊るし、その年に生まれた子供の無病息災を祈願したり、小さな紙の人形を紐に連ねて吊るしたりする地域もあり、今でもこの風習は盛んに行われています。
室町時代の『天稚彦物語(あめわかひこものがたり)』
今は昔、天女たちが地上に降りて水浴びをしていました。
すると、ちょうどその様子を垣間見ていた若者が、ひとりの天女の羽衣をどこかへ隠してしまいました。
羽衣を無くした天女は天に帰ることができず、男の妻となって子供を産みました。
ある日の事、天女は子供が口ずさんでいる歌から、羽衣が穀物倉に隠してあることを知り、子供を連れて天に飛び去ってしまいました。
別れ際、天女は瓜の種を残していったので、男は瓜のつるを登って天上へ追いかけて行きました。
天帝が難題を出しますが、男は天女の援助によって解決していきます。
しかし、禁じられていた瓜を縦に割ってしまい、瓜から流れ出た水が大洪水となって男を押し流しました。
この川が天の川で、天女は流されていく男に、「七日七日に会いましょう」と言いました。
しかし、男は七月七日と聞き間違え、こうして二人は、一年に一度、七月七日にしか会えないようになってしまいました。
七夕を子供に分かりやすく説明すると?
むかしむかし、川のほとりで、神様のために着物を織る「たなばたつめ」という美しい乙女がいました。
「たなばたつめ」は着物を縫うのがとても上手なので、神様も大変お喜びになって、毎年豊かな恵みをもたらしてくださいます。
また、空の世界で暮らしている織姫も機織が上手で、一生懸命機を織って働いていました。
でも、織姫は彦星と結婚した時に、機織りの仕事をさぼってしまったので、天帝様がひどくお怒りになり、七月七日の夜しか彦星に会えなくなってしまいました。
だから、二人が一年に一度だけ天の川を渡って会える夜は、星空を見上げて二人の幸せを祈りましょう。
この日は、二人が会える特別な夜だから、もし、あなたが豊かな恵みに感謝しながらお願い事をすれば、神様がきっと叶えてくださるでしょう。
七夕のお飾りの意味は?どうして笹に飾るの?
短冊は「書道上達」と「裁縫上達」、
巾着は「金運上昇」、千羽鶴は「長寿」、
吹き流しは「裁縫上達」、
神衣は「裁縫上達」と「穢れ流し」、
屑籠は「質素倹約」、
投網は「豊作大漁」
これらの祈りが込められています。
また、古来より竹は神聖なものとされ、霊力があると考えられてきたため、願い事をこめた御飾りを託すには最もふさわしい植物だと言えるでしょう。
まとめ
今年の七夕は、祀りの歴史に思いを馳せつつ、いつもとは少し趣向を変えてみてはいかがでしょうか。
豊かな恵みに感謝しながら、和歌を詠んだり、音楽を奏でたり、書をしたためたり、裁縫を嗜んだり、雅な時間を過ごしてみると、何か良いことが起こるかもしれませんよ。